感恩報謝の日演壇原稿 2015年3月2日 

本日は、3月2日。感恩報謝の日です。私は3月になると、約4年前の東日本大震災を思い出します。

 

私が震災後に東北にいったのは、2011年の6月でした。津波被害の大きかった、陸前高田にボランティアに向かいました。内陸の地域でレンタカーを借り、山を超えて陸前高田についたとき、目にしたのは辺り一面、ガレキの山でした。何もない、全てが流され、壊されていました。震災から3ヶ月経って、もう、落ち着いただろうと思っていたのに、目の前にあるのは、震災当時のままの光景でした。想像を超えていた被害に、ショックを受けました。

 

そんな陸前高田を走っていると、一人のおじさんに出会いました。

そのおじさんは、クリーニングを営んでいた方で、家もながされ、クリーニング屋も、その免許も全て流されたそうです。

 

そのおじさんは奥さんとテントに住んでいましたで。その日は暑い日で、上半身は裸、テントの中には水や食料と電気を引いていたので扇風機がありました。そこで話を聞かせてくれました。

 

普通であれば、避難所に行き、仮設住宅に入るのが普通です。

何もなくなった場所に、テントを貼って暮らすことは、体にとってもよくない。早く安全な場所に行き、新しい場所で仕事を探せばいいのに、と最初は思いました。

ですが、そのおじさんは言いました。避難所に行っても、仮設住宅にいつ入れるかはわからない。役場に言っても、あまりに人が多くて、相手にしてもらえない。自分はこの街で育ち、ずっとこれまで生きてきた。家は流されたけど、この生まれ育った土地で何とかクリーニング屋を建て直したい。

 

その話を聞いて、私はそのおじさんと父の姿が重なりました。

もし、自分の実家が同じ被害があい、目の前にいるのが自分の父だったら、私は何と声をかけるだろうかと考えました。

 

昔から住んだ家を離れて、他の場所で暮らそう。他の仕事をがんばろう。

そんなことは、どう考えても言えませんでした。

 

その時から東日本大震災が自分ごとになりました。

この東北の復興とは、たくさんの人にとっての故郷、自分自身の原点を取り返すことなのだと気づきました。

そして、東北は過疎化や少子高齢化が進んだ場所です。

その場所が復興するということは、少子高齢化の進む、日本の新しい地域社会のカタチが見えてきます。この場所が復興する、しないに、日本の未来がかかっていると感じました。

 

当時、私は、香港に赴任することが決まっていました。仕事も本当に順調でした。ですが、東北の現状をみると、日本を離れることができませんでした。自分の故郷でもある日本のために貢献したい。そう思って、仕事をやめ、復興にかかわることになりました。

 

順調に言っていた仕事を辞めるのは、正直に不安でした。ですが、命がある、帰る家がある、家族も友人もいる。そのことを考えると、私の不安は小さなことだと思えてきました。そして、今生かされていることやご縁に感謝するようになりました。

この体験がきっかけで、私は復興に関わり、今の仕事にもつながっています。

 

今日は感恩報謝の日、先代先生の生誕の日です。

今日は本会の原点でもあり、自分自身の今の原点をもう一度、見つめなおす機会をいただきました。

今、生かされていること。今、皆様と学べることに感謝して、今日も1日頑張ります。

本朝は演壇の場、誠にありがとうございました。

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